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2008年3月17日 (月)

教育ってなんだろう。

教育の仕事にたずさわって数十年。それでも、今でも考えることがあります。

それは、教育っていったいなんだろう、なんのためにするんだろう。

もともと、教育は、一つの部族、一つの共同体の存続のために、生存に必要な事柄を、子供たちに伝えるために行われていました。狩りや漁のしかた・天気の読み方・敵との戦い方。そうして、外敵や自然から生き延びるすべを伝え、みずからの子孫をつなごうとしたのです。

江戸時代の日本の町人の子供たちは、読み・書き・そろばんを習いに寺子屋に通い、生活に必要最小限の勉強をしていました。それに対して武士の子供たちは、剣術のけいこ・読み・書き・論語などの中国の古典の素読暗記などをし、生活の知恵・縦社会のしきたり・戦術的なものの見方などを学んでいました。

明治になって、産業革命後の西洋文化にふれ、大集団の戦闘のために、徴兵制をひくとともに、国民全体に集団生活の基礎をたたきこみ、命令を紙面で一度に伝えるために、普通教育の必要性を感じ、学制をつくり、一般兵士としての国民を育てるための(国民皆兵)小学校をつくりました。西洋風な教育で、産業革命を支える技術者・政府を支える官僚・国益を守るための軍人を育てました。しかし、縦社会を維持するため論語を中心とする教育も並行して行い、和魂洋才という日本の教育の位置づけをしたのです。

戦後は、占領軍であるアメリカ合衆国のシステムにのっとり、教育システムも変化しました。優秀なビジネスマンを育てるための教育という位置づけで、競争教育が受験戦争を増えつつある人口の元で生み出されました。睡眠時間4時間だと大学に合格でき、5時間だと落ちるといわれた、4当5落(よんとうごらく)という言葉の使われた時代です。高度経済成長期は、賃金の上昇と、物価の上昇をもたらし、生活のレベルの上昇は、少子化傾向を生み出しました。過度な受験戦争を戦い抜いた大人は、子供にゆとりを与えたほうが学習効率がよいのではと考え、ゆとり教育を実践しました。ところがゲーム全盛時代と重なったため、ゆとりの時間をゲームで過す子供がふえ、学力の低下につながりました。

現在では、その反省の元、一方向にふりきったふりこを逆に動かそうとしています。

私は、現在の子供たちに必要な教育は、生き残るために必要な知恵と体力と知識ではないかと考えています。教育というものについてもう一度、この国の未来のデザインを見極めたうえで再構築するべきではないかと思っています。

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